ベレーザ・トロピカル(Feb.2004)

 
 何をきっかけに、ブラジル音楽を聴くようになったか? という、マニアが集まると必ず上がる話題があります。

 うちのバーのお客様で一番多いタイプが、年齢が40歳前後 で、もちろんバブルは経験していて、ワインの趣味も良く なんとなくクリスタルはバカにしつつも、ちゃんとチェック はしていて、AORはもちろん詳しくて、バツイチあるいは 現在不倫中で、20代後半の女の子と、来店してくれる という感じの男性です。で、この人達は何かと言うと、 ジャヴァンとイヴァン・リンスなんですよね。きっかけは やっぱり87年のマンハッタン・トランスファーのブラジル なんです。もちろん、当時のあのナラ・レオンのCM曲とか その前から、マイケル・フランクス経由でジョビンは聴いて いたとか、そんな経歴はありますが、やっぱりマントラ なんです。実はこの人達、接してみると良い人達多いです。 趣味の良さ、育ちの良さ、一緒にいる女性の美しさなどなど... もちろん支払いは、それが彼女とのデートでも会社の接待費として 経費で落とせるので、どんどん高い注文もしてくれます。 バーテンダーとして、とても嬉しいタイプです。

 大貫妙子さんや、城戸夕果さんが来店した時にかけて すごく喜んでくれたのが、ウエイン・ショーターのネイティヴ ・ダンサーでした。実は、このアルバムが、ジャズを通過した 日本のミュージシャン達のフェイヴァリット・アルバムだと いうことを、私は中原仁さんに聞いて予習済みでした。 例えば坂本龍一周辺のあの人達とかは、ほとんどが、このアルバム をきっかけにミルトン・ナシメントを知って、ズブズブと ブラジル音楽ジャングルにのめり込んでいったそうです。 YMO、シュガーベイブあたりが好きな人は、是非、このアルバム、 チェックしてみてください。彼らの音楽の懐の広さに驚くはずです。 ちなみにそのレコードは、LAMPのギタリストの染谷大陽さんに あげてしまいましたが...

 もちろん、ジャズから入って来て、ボサノヴァが好きだ、という 人達がたくさんいます。60年代を経験したあの人達です。 スタン・ゲッツ、ポール・デズモンド、バド・シャンクなどから、 ジョアンとジョビンにたどり着いた、あるいは、女性ヴォーカルもの が三度の飯より好きで、ブロッサム・ディアリーやアストラッド・ ジルベルトからボサノヴァに来たというとても正しい、羨ましい世代 の人達です。もちろんセルメンは発売当時に買ってます。50歳を超え ているこの人達に、私は“ジャズ喫茶で、難しい顔でフリー・ジャズを 聞いているのがおしゃれだった時代に、こういう音楽って軟弱じゃ なかったんですか?”と、何度か質問したのですが、 “もちろんこういう音楽って、ナンパな感じはしたけど、 実際、当時本気で、ジャズを聞いていた人じたい少数派だったん だよね。普通の音楽好きはフォークやビートルズ、イージー リスニングや映画音楽とかを聴いてたような気がする。でも、 無理して難解なジャズを聞くより、こういう音楽を聴いた 方がいいじゃない”という、これまた正しいお言葉が大体戻って 来ます。羨ましいです。この種類の人達。しかし、この種類の人達、 ちょっとバーでは困ってしまうのが、みなさん、なぜかリクエスト したがるんです。ご存知かとは思いますが、バール・ボッサでは CD,LPあわせて50枚も置いていません。リクエストなんか 答えられないし、大体、そんなゆっくりレコードかけている状況で はないんです。大昔のジャズ喫茶を期待して、スピーカーやアンプを ジロジロ見られるのも、なかなか苦しいです。ごめんなさい、バー のボサノヴァはホント、恋人達が盛り上がるためのBGMです。 スピーカー買う余裕があったら、新しいワイン仕入れます。 重ね重ね、ごめんなさい。

 上にあげたような世代の方達には、意外、あるいはそんなブーム知らないって 人もいらっしゃるかとは思うのですが、やっぱり90年代前半の ブラジルDJブームというので聞き始めた、という人達もたくさんいます。 実は、正直な話、私はこのシーンをあまり知りません。というのは、 90年代前半は、バッカーナとサバス東京というブラジリアン・レストラン で働いていたため、もうどっぷりと現地そのままの日本在住のブラジル 人社会に所属していたんです。私は、彼らから毎日、サンバやフォホー のステップを教わったり、インテリ日系ブラジル人達からパララマス・ド・ スセッソやレジアォン・ウルバーナといったブラジルのロックをすすめら れたりしていました。だから、あるきっかけで、久しぶりに日本のクラブに 行った時、普通の日本のオシャレな若者達が、ウッパ・ネギーニョに あわせて、手を叩いているのを見た時は愕然としてしまいました。 で、この種類の人達って、驚きなのは、ミルトン・ナシメントでも エドゥ・ロボでも、全部ひとまとめで、“ボッサ”なんですよね。 この感覚ってすごくアリだなとは、今となっては思うのですが、 バール・ボッサのオープン当初は、クラブ、あるいは結構ガンガン 踊れそうな“ボッサ”を“プレイ”しているお店だと勘違いしていらっしゃる 若い人が多くて、入り口で断ったりして、よく喧嘩になったりしました。 そんなこんなで、ああ、ボッサレコードって、結局DJのことよくわかっていない んだよな、と感じてしまったりしていたら、すいません、私の勉強不足です。 色々、勉強はしているつもりなんですが...

 さて、本題の、私がブラジル音楽を聞き始めたきっかけですね。89年に 発売したトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーン編集のベレーザ・ トロピカルです。私の世代(69年生まれ現在34歳です)で、このCDから 全てが始まったという人、すごく多いです。例えば私よりちょっと上ですが、 須永辰緒さんや橋本徹さんもこのCDからブラジルを聞き始めたそうです。 私は89年当時、高田馬場のあるCD店でバイトしていました。 このお店のBGMはジェイムス・テイラーやネッド・ドヒニー、 フェアグラウンド・アトラクションやエヴリシング・バット・ザ・ガール、 クレスプキュールやエルといった感じでした(懐かしい...)。 あ、もちろんナラ・レオンと小野リサもガンガン かかってましたよ。でも、私としては、まだ若いので、もうちょっと 激しいのが好きで、ロッキン・オンやミュージック・マガジンを片手に バイトで稼いだ多くをレコードやCDに注ぎ込んでいました。たぶん 月平均で5万円くらいは音楽ソフトに消えていたような気がします(5万円か、 まだまだ少ないな、と思う方多そうですね...)。 あ、そうそう、思い出しました。その当時、ワールド・ミュージック・ ブームというのがあったんですよね。私も、その流れにはまり、色々と 試してはいたのですが、今ひとつしっくりこないなあと、退屈し始めた 時に、出会ったのが、このベレーザ・トロピカルです。デヴィッド・バーン が選曲して、アート・リンゼイが対訳、解説ということは、もう これは買わないでどうする、というマストなCDでした。で、もうこれは 一発でガツンと来てしまいました。結構、当時、自分は音楽は詳しい方だ と自負していたのに、聞いたことある名前がカエターノ・ヴェローゾと ミルトン・ナシメントくらいだったんです。20才の私にとって、 知らないアーティスト名ばかりのオムニバスCDで、全曲どれも良い曲ばかり という状態は、まさに宝島発見状態でした。しかし、ここに出ているアーティスト のレコードを当時、東京で買おうと思っても、あまりないんですよねえ。 ミルトンやガル・コスタの新しい音源や、ベスト編集CDなんかは手に入るんだけど、 ロー・ボルジェスや古いシコ・ブアルキなんてまずないんですよね。でも、そうやって行き当たり ばったりの試行錯誤で、ブラジル音楽のレコードが集まり始めると、アート・リンゼイが 解説で書くノエル・ホーザという人や、中原さんが解説で書くイヴォンニ・ララと いう人のことが、ちょっとづつわかり始めるのが快感でした。このCD、ポル語、英語、日本語と 3種類の歌詞があり、3人が解説を書いているので、ライナーを折りたたむとすごく 分厚くなり、何度も何度も教科書のように読んでしまったので、ケースに収まらなくて ボロボロになっています。
 さて、このデヴィッド・バーンの選曲は、当時から話題になったそうですが、 やっぱり今考えても、スゴイ、の一言です。まず一番の話題が、色んなレコード会社、 レーベルの壁を越えて選曲されているんです。この試みは、デヴィッド・バーン以降 色んな人たちが、羨ましくて真似しようとしているのですが、まず成功したという話 は聞きません。でも、そんな会社問題よりも、今、あらためて不思議な選曲だな と思うのが、MPBのオムニバスCDだと絶対に選ばれるはずだというアーティスト が全く無視されていることです。ジャヴァン、イヴァン・リンス、ドリ・カイーミ、 ジョイス、エリス、ジョアン・ボスコ...です。そう、このCDは ブラジル音楽を広く紹介するガイド的なものではなく、デヴィッド・バーンの ロック美学で“選ぶ”というひとつの“表現”なんですよね。考えてみると この選ぶ行為自体が表現っていうのって、90年代、大流行しましたよね。デヴィッド・バーン 一歩、早いです。この一歩というのがポイントです。さすがです。 中原さんのお話によると、このCDは日本でのというより、アメリカ本国でとにかく 支持された、ということです。やっぱりアメリカのインテリ層にとって、デヴィッド・バーン の影響力というのはすごいそうです。わたしも実際、90年前後にNYで暮らしていた ブラジル人に、“NYの街中でこの一曲目のジョルジ・ベンのウンババラウーマを しょっちゅう耳にした”と聞いたことがあります。
 ちなみにこのベレーザ・トロピカルは続編がありまして、2はサンバで3はフォホーです。 どちらの選曲も、やっぱりデヴィッド・バーン美学バリバリで最高です。 ボサノヴァはある程度集めてしまって、次は何聞こうなんて人にはオススメです。 どのタイトルも中古CD店の激安コーナー、あるいは“その他”のコーナーで 人知れず、埃だらけになっています。
みなさん、かわいそうな彼らを助けてあげて下さい。

 

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