サンバ、ボサノヴァは
    ブラジルの演歌なのか?
    (Apr.2005)

 
サンバ、ボサノヴァはブラジルの演歌なのか?

“サンバって、ブラジルの普通の若者にとって演歌みたいな存在なんでしょ?”とよく聞かれます。これが“ボサノヴァ”になり、“ボサノヴァって、今は誰も聞いていなくて演歌みたいなものなんでしょ”ということもたまに言われます。答えはどちらも“NO”です。  これは、昔、私も同じ疑問を持って、本当に何十回もブラジル現地人に“サンバ観”と“ボサノヴァ観”を聞いてまわったから自信を持って言えます。“サンバ”も“ボサノヴァ”もブラジル人にとって“演歌”ではありません。ちなみにもっと突っ込んで言えば、ブラジル人にとって演歌的な音楽は“セルタネージャ”というジャンルの音楽があります。

 ここで、色んなことをわかりやすくするために、ブラジルの都市を日本の都市に置き換えてみます。まず、これは誰もが認めるのですが、サンパウロは東京で、リオ・デ・ジャネイロは関西です。だから、ジョビンもナラ・レオンも関西弁で喋っていると理解してください。

 もっと突っ込んで言えば、たぶん、ジョビンやナラのボサノヴァ人達は京都弁です。カルトーラやネルソン・カヴァキーニョは大阪弁です(この辺、想像です。いや、ジョビンは芦屋で、カルトーラは岸和田なんて関西本場の意見がありましたらごめんなさい)。

 例えば、カリオカ訛りは“S”を“シュ”と発音します。私はポルトガル語を教わった先生がカリオカ訛りを強要したので、“dois(ドイス)”を“ドイシュ”と発音してしまいます。で、ブラジル人たちの前で“ドイシュ”と発音すると、“ウワー、こいつジャポネスなのにカリオカ訛りだー”と大騒ぎしておもいっきり笑われることになります。外国人や宇宙人が、関西弁を使うと日本人はみんな笑いますよね。あの感覚です。で、逆にもしリオで私がサンパウロ風に“ドイス”と発音しても誰も笑いません。

 ええと、“マシュ・ケ・ナダ”という曲がありますよね。あれ、本来は“マス・ケ・ナダ”という発音が標準なのですが、ジョルジ・ベンもセルメンも関西弁なので“マシュ・ケ・ナダ”と発音してしまっているんです。

 話しはドンドンそれますが、バイーアが沖縄で、ミナスが愛知(ベロ・オリゾンチが名古屋)で、南の方はもちろん東北です。だから、カエターノ・ヴェローゾやジョアン・ジルベルトはうちなーぐちだし、ミルトン・ナシメントやトニーニョ・オルタは名古屋弁、エリス・レジーナは東北弁です(バイーアは福岡でサルヴァドールは博多、ペルナンブーコとかが鹿児島、沖縄はベレンとかマナウスなんじゃないのという意見もありますが、ややこしくなるのでパスします)。だから、カエターノの語るシーンなんかを普通のブラジル人達と見ていると、おもいっきり彼の発音を笑ったりします。

 ごめんなさい、話しが本当にそれちゃいました。ここで伝えたいのはサンパウロは東京でリオは関西ということだったんですけど。

 さて、本題の“サンバは演歌なのか?”です。一般ブラジル人からのサンバ観を私なりにまとめると、日本でひとつだけサンバに似た存在のモノがありました。吉本や松竹を代表する大阪の“お笑い”です。

 大阪人にとって“お笑い”って“日常”で別に“クールなもの”でも“ダサいもの”でもないですよね。親しい友人同士が集まると、すぐに“お笑い”状態になるし、中にはその“お笑い”を仕事にしようと考える人もいます。もちろんサンバのスターがいるように、お笑いのスターもいます。例えば“パウリーニョ・ダ・ヴィオラ”は“さんま”で、“フンド・ジ・キンタウ”は“ダウン・タウン”です(ここで松竹はポルテーラで吉本がマンゲイラだから、パウリーニョがさんまはちょっと変だなんて突っ込みはやめて下さい)。

 そして、そのサンバ感覚、お笑い感覚を、サンパウロや東京はとても奇妙な感覚で見つめます。でも、パウリスタがサンバが始まると自然と体が反応するように、東京人も松っちゃんの笑いはおもいっきり理解します。



 ではボサノヴァはいったい何なのか?日本の場合、ブラジルのようなはっきりとした階級社会ではないので、これはなかなか似ているものが見つけられません。

 ここで、ブラジルに話しを戻しましょう。私は、誰の家を訪問しても“レコード棚”を見せてもらうのが趣味です。他人のレコード棚ってホント楽しいんです。大体、あの雑誌を高校生の時に読んでいたんだなあとか、ああ、この人、表面だけなぞるタイプだなとか色々と普段の会話では伝わらないその人の本当の姿が見えてきます。

 話しはそれますが、私は“本棚とレコード棚を見ればその人の全てがわかる”と常々思っています。同様に、古本屋と中古レコード屋を見ればその街の文化度具合がわかります 

 ブラジルの話しに戻します。ブラジルで2ヶ月間過ごして、リオとバイーアの色んな家庭にお呼ばれして、色んなレコード棚を私は見たのですが、ボサノヴァのレコードはたったの一回も私は見かけませんでした。本当です。

 例えばガル・コスタやエリスのベスト盤CDなんかはたまに見かけます。でも基本的には普通の家庭だと、ホベルト・カルロスとかよくわかんないブラジル現地のアイドル歌手や、リオなら当時の流行りモノのパゴージCD、バイーアなら当時の流行りモノのサンバ・ヘギCDって感じです。

 これが中流やインテリの家庭に行くと、ぐっとアメリカのアーティストが増えます。もちろんブラジル産ロック(ブラジル版U2みたいなのがあるんです)もたくさんあります。

 ある日、日本でのポルトガル語の先生の紹介で“私、高校でフランス語を教えているの”というリオのインテリの女の子の部屋にお呼ばれしました。彼女はコーヒーも飲まないし、フェジョアーダも食べないで、日本茶を飲んでフルーツ・サラダを好んでいたのですが、彼女のCDラックにはなんとケニーGとシャーデーがありました…。

 ホントにないんです、普通の家庭にボサノヴァのレコード。  先ほどのフランス語の先生をしているインテリ中流女性は、CDは持っていなかったけど“ナーラ・リアォンは好きよ”と言っていました。でも、音楽なんて全く関係ない普通のワイルド・サイドのブラジル人はまず“ボサノヴァ”という言葉も“ジョビン”という人も知らなったりします。“イパネマの娘”は知らないけど、私がメロディを歌うと“あぁー、あれね”って顔をして口を歪めます。

 あたっているかどうか、いまひとつ自身がないのですが、由紀さおりが“日本の童謡”とかを歌ったりしていますよね。ブラジル人にとってのボサノヴァってあの感じに近いのかなあと思います。あとリチャード・クレイダーマンの感じでしょうか。決してクロノス・カルテットとかグレン・グールドの感じではないんです。もしかしてナラ・レオンは五輪真弓なのかもとも思います。トッキーニョはアリスの誰かです。いわゆる上流でも中流でもない多くのブラジル人は“ボサノヴァってちょっとね…”と感じているのが伝わりますか?

 いやはや、みなさんの“ボサノヴァへの夢”を壊すようなことを書いてしまいました。だから普通、ブラジルに長期滞在すると“ボサノヴァが聴けなく”なります。私だってそうでした。でも私はリハビリを繰り返し、やっとこちら側に戻って来れました。もちろん戻って来ないという人生の選択もあります。行ったり来たりという選択もあります。たぶん、ブラジルもボサノヴァもそんなことどうだっていいやと思っているはずですが

 

[← 目次にもどる]