ガロートを聴きに(May.2003)

 
 昔、筒井康隆の小説でタイムマシンに乗ってジャズを聞きに行くという話がありました。あれを読んで、全国のオールド・ミュージック愛好家が“俺なら○○に行く”と想像を膨らましたことでしょう。はい、もちろん私も色々想像しました。

 やっぱりボサノヴァ好きとしては、ジョアン・ジルベルトが発明したばかりの新しいバチーダを携えて、メネスカルのマンションの扉を叩くあのシーンに行ってみたいなと想像しますよね。でも、ご存知かとは思いますが、ブラジルの上流インテリ文化系の集まりって、ちょっときついものがあります。特に時代は50年代後半、そういうサロンって詩とか演劇、政治や哲学、絵画やヨーロッパ映画の話しをユーモアを交えて話せないと浮いてしまいそうです。私は、ちょっと遠慮しておきたい空気です。

 じゃあやっぱり1920年前後のチア・シアータの家(ボサノヴァでいうナラ・レオンのマンションのような存在)で、ドンガやジョアン・ダ・バイアーナ、ピシンギーニャ達と一緒にサンバが生まれる瞬間に立ち会うなんてどうでしょうか。いやいや、これも絶対きついものがあります。ピエール・バルーの映画“サラヴァー”で見る限り、あの人達のポル語はまず私には聞き取れなさそうです。ああいう場って、いっしょにスラングや下ネタで盛り上がれてやっとそこからアミーゴなんですよね。もちろん、私が何か楽器が出来ると上手く入っては行けるんですけど残念ながらそんな才能はないし...やっぱりあの空気は、そこで生まれて育った人間じゃないと楽しめないはずなんですよね。

 そこで、私なら、ガロートを聴きに行きます。1950年代前半、リオの下町は、現在のように殺伐とした雰囲気でありません。石畳の坂道を上っていくと、角のバールからは、時折女性の笑い声やグラスが重なる音が聞こえてきます。私はひんやりとしたタイル張りのカウンターの前に座って、冷えたビールを注文します。店の中の暗さに慣れて来て、あたりを見まわすと、カウンターには恋人達が2人、見詰め合ってグラスを傾けています。テーブルには女性連れの4,5人のグループが二組、何やら楽しそうに話しています。一人、道化タイプの男性がいるのか彼が立ちあがって何かを言うと座がわっと盛り上がります。ずらりとボトルが並んだ棚の横にはラジオがあり、さっきからドリヴァル・カイーミのヒット曲や甘いボレロが流れています。私はビールを二口で飲み干し、ちょっと良いヴィンテージのポート・ワインを注文します。バーテンダーにも一杯すすめて、最近のリオの流行の音楽の話なんかを聞いてみます。もちろん、彼は日本人観光客なんて見たことないので、どうしてこのアジア人はこんなにリオの音楽に詳しいのだろうと不思議な表情をしています。私は最近話題になっているアントニオ・カルロス・ジョビンがピアノを弾いているバーの名前を教えてもらったりします。さて、そうこうすると、ガロートの登場です。トリオ・スルジーナの演奏も見てみたいのですが、一回だけというのならやっぱり、ガロートのソロ・ギター演奏でしょう。後のジョアン・ジルベルトやルイス・ボンファにも影響を与えたという彼のギターのスタイルは、すべてここで完成されています。パウロ・ベリナッチの演奏よりもちょっと固めのゴツゴツとした響きが想像していた通りです。他のお客達も、いつのまにか真剣に聞き始めています。厨房で働いていた人達も外に出てきて聴いています。演奏が終わり、彼はカウンターの私の近くに座ります。私はバーテンダーにガロートの飲み物を注文します。彼は飲み物の礼を言い、“この辺の人じゃないですね”なんて言葉を私にかけます。私は、彼のこの後の人生が短いことや、もっと録音を残しておいて欲しい、せめて自作の曲の楽譜だけでも残して欲しいなんて気持ちを伝えようかと一瞬考えますが、もちろんあきらめます。私は、“最近のサンバ・カンサォンって、ちょっと退屈ですね”とか“アメリカの演奏はどうでした?”とかたわいもない話しをいくつかしてみます。ちょっと事情通過ぎる私に、ガロートは少し驚くかもしれませんが、それにはあまりこだわらず、“じゃあ、明日はまた早いんで”とか言いながら、すぐに帰ることでしょう。始めてあった人間とはあまりしゃべり過ぎないし、深酒は好まないタイプです。軽く握手を交わしながら、私は彼に“今日の演奏、最高でした”なんて月並みな事を言って別れます。そして、ガロートは、まさか自分に死が近づいているなんて、これっぽっちも想像できないような笑顔で、私に“また”と手を振って、リオの夜の中に溶け込んでいきます。

 

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