Aguas de Marco(Jul.2003)

 
 ブラジルは、もちろん南半球にあるので、二月頃が、夏真っ盛りで、それに合わせて、世界一のカーニヴァルも盛り上がります。夏です。そして、三月になると二週間くらいの雨季に入ります。まるで二月のカーニヴァルの熱さを冷まそうとするかのように、朝から夜までずっと細かい雨が降りつづけます。ビーチで世界一小さな水着を付けて肌を焼いていたモレーナ達もいつのまにか見かけなくなり、波や砂浜の上に雨は降り続けます。街角の空き地で、泥と汗でぐちゃぐちゃになってサッカーをしていた子供達も学校が始まったのでしょうか、最近は見かけなくなり、サッカー・ゴールのそばで遊び相手がいなくなった野良犬がひとりぼっちで雨に濡れています。“ああぁ、夏も終わっちゃうんだなぁ”という寂しい空気がブラジル全土を覆います。ブラジル全国民が日本の小学生の8月31日の気持ちになってしまうわけです。

 そんな風景をアントニオ・カルロス・ジョビンが“三月の水”という曲にしています。ジョビンはまるで短編映画を撮るかのように、夏の終わりに降りつづける雨の風景をボサノヴァというカメラに収めていきます。“木、石、小道は行き止まり、残された切り株、ちょっと寂しい...”そんな夏の終わりの風景に、ジョビンのボサノヴァの雨は降り続けます。

 現在のブラジルではボサノヴァはあまり聞くことが出来なくて、日本人旅行者をがっかりさせますが、この曲だけは例外のようです。実際、私はリオの街中で雨が降り始めたとき女の子がこの曲を歌うのを耳にしたし、私が滞在した家の小四の女の子も“私、三月の水全部歌えるよ”と言ってくれたこともありました。それほどこの曲はブラジル人にとって夏の終わりの感情とぴったりあっているのかもしれません。

 この曲は、曲自体が完成されているため、誰がどんな風に歌っても名演奏になってしまいますが、みなさん、色々、ひいきにしているテイクがあると思います。やっぱり一番人気はジョアン・ジルベルトのヴァージョンでしょうか。あれを聞いてしまって、人生が変わってしまったという人の話をよく聞きます。何度聞いても驚きのあのテイクは、今でも世界中の音楽好きの若者の人生を狂わせていることでしょう。そして忘れてはいけない、エリスとジョビンのヴァージョンです。ボサノヴァのオムニバスCDが作られるとしたら、必ず入ってなくてはならない世界標準ヴァージョンですよね。あれを聞いて、世界中の女性歌手が“いつか私も歌の途中でカッコよく笑って絵になる女になりたい”と考えているようですが、エリス以上にうまく笑える人はいまだ存在しません。

 で、私はと言うと、最近はジョビンの一人ヴァージョンが心に染みてきます。このアルバム、ヴァーヴ盤があるので、すごく若い時に買って、聞いた覚えがあるのですが、その時は正直言って、地味過ぎるアルバムだなあ、という印象しかありませんでした。しかし、30歳も過ぎて、大人になってから聞きなおすと、ちょっとこのアルバムこんなにすごかったんだと、反省しております。何を今さら、と言われても仕方ないんですが、このアルバム、冒頭で三月の水を歌ってから、その後ラスト曲までずっと雨が降りっぱなしです。おそらくジョビンが、クラウス・オガーマンに“このアルバムは、始めから最後まで、ずっと雨が降っているようなアレンジにしてくれ”と指示したに違いありません(わかっているとは思うのですが、もちろん私の創作で冗談です。というのは、先日某有名レコード店で私が想像で書いた文章をそのまま引用してレコメンしてたと言う話を聞いたので...)。アメリカ・ヴァーヴ盤だと、ラストは確か、三月の水の英語ヴァージョンで、おもいっきりしらけさせて終わりのはずですが、ブラジル・フィリップス盤だと最後に雲が黄金色に光り、ブラジルに秋が訪れてアルバムは終わります。

 さて、ジョビンは、ブラジルの三月の雨達をボサノヴァと言うカメラに撮り終えた最後に、こんな詩で歌を締めくくります。
“こんな風にして、三月の水が夏を閉じようとしている。
それは、君の心の中の人生の約束事。”

 

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